今週のお題「試験の思い出」
今回は妻が今週のお題「試験の思い出」を書いていきたいと思います。
小学生
小学校低学年までは母親曰くクラスのトップ5には毎回入っていたらしいです。
そんな馬鹿な〜って感じですね。
高学年に入ってからは家庭環境が変わったこともあり、少しずつ勉強が嫌になり、
5年生の頃はほとんど学校に行ってませんでした。
5年生の2月から児相の一時保護所に保護され、そこでは勉強の時間がありましたが、もちろん集中なんてできていなかったし、この頃から目が悪いことに気づき、余計に黒板が見えないから嫌になってました笑
6年の6月に児童養護施設に入り、そこからまた久しぶりに学校に通うことになりましたが、しばらく行ってなかったので勉強内容はわかっていませんでした。
特に算数と社会、理科はテストの点数が壊滅的でした笑
国語の漢字の50問テストはクラスで私だけ100点を取ったことがあり、
漢字だけは当時得意でした。
私が最後通った小学校は結構お金持ちな子が多く、有名人の子やモデルをやってる子も通うような所だったので中学受験をする子が多かったです。
私は1ミリも中学受験なんて頭になかったです!笑
中学生
中学生になって勉強は相変わらず嫌いでした。
また、吹奏楽(マーチング)の強豪校で、入部してからは部活三昧で
勉強なんてやってる場合じゃなかったです笑
毎回中間、期末テストでは平均点の前後で、数学だけはクラスビリなんじゃない?ってくらいの点数を取って施設の職員に怒られる、を繰り返していました。
後に記事にするときに詳しく書きますが、施設の職員さんで恩人と思ってる存在の方がいて、試験が近くなると暗記系の社会とその方が得意な英語のやまはってくれたり、夜遅くまで勉強に付き合ってくれてその教科だけは最悪な点数を取ることはありませんでした!
高校受験
中3の10月で部活を仮引退してから初めて勉強をやらなきゃいけないと
焦り始めました。
私のいた施設は塾に通わせてくれたので個別指導の某スイッチの塾に
入り、塾に通うことになったのですが、、、
塾の先生、生徒みんなチャラいし勉強してこなかったから特に数学なんてちんぷんかんぷんだし高校生になれるか不安で塾が大嫌いでした。
受ける高校は平凡校で内申点と面接重視の高校で、内申点はめちゃくちゃ足りていたので少しは手抜いていっかってなりました笑
一応家でも勉強をやっていたのですが、同じルームだった3個上の少し障害を持ってる女の子に「お前なんて受験落ちろ」って2週間前に言われたのは多分一生忘れないと思います笑
施設はみなさんの税金で生活をさせてもらっているので
なるべく私立よりも公立に行った方がいいんですよね。
よく職員に絶対公立行ってねと言われ続けてプレッシャーでした。
1週間前に落ちたらいけないというプレッシャーが嫌になってもう勉強一切やーめたってなって1週間勉強をせずに受験当日を迎えました。
当日は友達と席が前後だったので安心でした。
建て替えたばかりの高校だったので綺麗だなーと思いながら試験を受けました。
めちゃくちゃイケメンな先生がいて入りたいーて思いました笑笑
なんでか合格をもらい、無事JKになれました〜!!
高校生
無事入学できましたが、やっぱり勉強は嫌いでした。
1年の期末テストでは数学で人生初の8点を取ってしまい
一周回って面白かったです。
赤点取ったからといって補習や、再テストがあったわけじゃないので
すごく心が楽でした。
家庭科と国語以外は大体平均点より下で、たまに平均点以上を取って
喜ぶ、といった感じでした笑
ただ、成績で1は取ったことがないのが自慢です笑
留年することなく卒業もできました。
大学受験
進路に一番悩みました。
本当は保育の学校に行きたいけど一人暮らししながら学費と生活費を稼いで
通学なんて無理と思いました。
施設出身者むけの返済なしの奨学金が何個かあり、一つ、入学金、在学中にかかる学費全部払っていただける奨学金があり、受けました。
全国で2人しか受からないやつだったので一生懸命レポート書きましたが落ちました。
それにかけて保育の夜間の専門学校の受験を指定校推薦でしていたため、
この時期はもう精神的にやられました。
結局、入学辞退をし、就職に切り替えました。
まとめ
こんな感じでずーーーーーっと勉強はできませんでした!
試験でクラス1位取れる人って別世界の人間って思っていました笑
家庭環境の関係で進みたかった進路に進めなかったり
色々あったけど今の人生満足しています。
勉強ができなくったって幸せになれるよ!って言いたいです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。