妻の生い立ち(小学校入学〜小学4年生)
今回は前回の続きから妻の生い立ちを書いていこうと思います。
小学校入学
2007年4月にゴリラなんとランドセル背負うようになります。
今では信じられませんが、自分からめちゃくちゃ話しかけて友達をたくさん作ってた記憶があります。
負けず嫌いで、友達ができて私ができないことがあるとひたすら練習していました。
ただ、水泳は今でも苦手で悔しいです笑
特に友人関係は良好で問題もなく過ごしていました。
勉強は授業中ものすごく手を上げて発言したがる子どもでした。
今じゃ考えられない、、、、、、
2人目の弟爆誕
小学校に入学した年の夏前に2人目の弟爆誕しました。
私が小1、姉が小3、弟が2歳になる年でした。
母が入院中は本当に地獄でした。
姉は毎日泣く、私も一般的な暴力を受けるようになっていたので
毎日学校から帰りたくないなんて思っていました。
姉が児相に行く
私が小学校に入学した年の夏に姉が児相に保護されました。
この頃から義父から姉への暴力が当たり前になってきていて、
姉の寝床はお風呂場か脱衣所で、家族団欒の時間なんてあった記憶がありません。
ある夏の日、私が買ってもらったばっかの自転車に姉にも乗ってほしくて、
義父が出かけている時に外には出るな、といわれたのですが、チャンスは今しかないと思い、姉とアパートの駐車場で自転車の練習をしてしまいました。
義父が帰ってくる前に帰ればいいと思っていたら想像以上に早く帰ってきてしまい、
怒られました。本当に怖すぎて私が、お姉ちゃんが遊びたいって言った。と嘘をついてしまいました。
義父はカンカンに怒って出ていけと言い、姉はそのまま真夏の炎天下の中出て行ってしまいました。
このことは私は一生忘れられません。罪悪感がずっとあります。
夕方になって義父に探してこいと言われ、隣の公園や近所を姉の名前を呼びながら
探しましたが、姉の姿はどこにもありませんでした。
その夜中、警察から電話がかかってきて、警察で保護している、このままだと児相に連れていくとのことでしたが、義父がそれで結構、好きにしろと言い、姉はそのまま一時保護所に連れていかれました。
母は私たちが暴力を受けている間は別室にこもって
弟の面倒を見て、暴力を見て見ぬふりをしていたので母も義父に従うしかなかったと思います。
本当に私のせいで姉の人生を変えてしまいました。
姉帰宅
児相に保護された3ヶ月後、姉が帰ってきました。
最初の1週間は全く暴力もなく、寝るところも一緒でやっと幸せになれるんだ!と思っていました。
ですが、すぐに前の日常が戻ってきてしまいました。
真冬に裸足で追い出すのは当たり前、暴力、物を使っての暴力になってきて
エスカレートしていきました。
母もストレス発散を姉に当たっていて首を絞めたり、過激でした。
ただ、私もこうなっちゃうと生きるのに必死だった当時は姉を助けることができませんでした。
ただ見ているだけ。足がすくんで動かない。
やめて。も言えませんでした。
双子の妹爆誕
2009年夏に双子の妹が生まれました。私が小3の時でした。
妹の出産と引っ越しが重なり、姉と私で元住んでいたお家の掃除をさせられた記憶があります。
引っ越し先の団地では荷物部屋、、子どもたちが寝る部屋、親と妹の寝る部屋とありましたが、姉は脱衣所が寝る場所でした。
妹が双子ということで母は子育てに忙しそうでした。
義父の虐待も頻度が減るわけでもなく、前と変わらずでした。
真冬も脱衣所生活を送っていた姉は霜焼けと栄養失調が重なり、1人での歩行が困難になった時期もありました。
後ははそれでも弟たちが残した残飯がメインでした。
私も成績が悪かったり、何かやった時は姉とおなじ生活を送っていました。
姉2回目の児相
小3の夏らへんから私と姉はよく校長室に呼ばれ、家での様子を聞かれることが多くなりました。
事情聴取が始まって1ヶ月もしないで姉は授業中に無理やり児相に連れていかれました。
姉は行きたくないとずっと先生たちに訴えていたそうです。
そのまま児相から里親の元へ行くと聞かされました。
里親を何か分からなかったのでよく母に姉はいつ帰ってくるのか聞いていたそうです。
姉実父に引き取られる話が出る
私が小4の夏休みに入る2ヶ月ほど前から、姉が帰りたいと言っているが、母と義父の元へは返せない、と児相が判断しているから帰るなら実父のところだけ。という話が出てきました。
正式に姉が実父に引き取られると決まった時に、あなたはどうするか聞かれました。
ずっと姉と暮らしたかったので、私も着いていくと即答しました。
小4の夏休み、私はまだ小さい弟と妹を残して実父の元へいきました。
弟は4歳、2歳。妹はあと少しで1歳になる年でした。
妹はまだやっとつかまり立ちができるようになったくらいだったのに別れの日は何かを察してずっと泣いていて心が痛かったです。
まとめ
少し過激な表現があり、気分を悪くさせてしまったらすみません。
人生の中で一番身体的に辛かった時期かなと思います。
義父を止められなかったことと姉に嘘ついて児相送りにしてしまったこと。
本当に後悔がいっぱいです。
周りには過去は過去だよ。と散々言われてきました。
今更思い出してももうすぎたことだから。とも言われてきました。
分かってます。分かっていますがどうしても忘れられないし、忘れてはいけないことだから今でも思い出しては自分を責める日があります。
ただ、旦那と出会って自傷行為を辞めることができました。
私にとっては大きな一歩だなと思っています。
改めて旦那に感謝したいと思います。
長くなりましたが、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
次回は実父に引き取られてから施設に入るまでを書いていきたいと思います。
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