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妻の生い立ち(小6〜中学卒業)


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今回は前回の続きの小6で施設に入所してから中学校卒業までを書いていきたいと思います。

施設に入る

 

小6の6月に施設に入所しました。

 

私の施設はマンションみたいな感じで1つの棟に4部屋あって、1部屋に子ども2歳〜高3の多くて7人、職員が女性保育士が2人、隣り合った部屋2部屋二つを見る男性児童指導員1人、棟全体を見る主任で見る感じでした。

 

職員の勤務形態は朝勤だと朝6時〜14時くらいまで。

朝食とお弁当を作ってくれて掃除や登校を促したり幼稚園まで送る。

その後は残りの家事と職員会議。夜勤の人が来るまで夕飯づくり等をする。

 

夜勤は14時から夜の10時まで。

お風呂入れて夕飯作って洗い物、寝かしつけをやって、子どもの相手をしながら、パソコン作業もやる。10時までだけど高校生は23時就寝だからサビ残。

 

泊まり勤務は14時から翌10〜14時くらいまで。その日による。

泊まりは隣り合った2部屋の内の夜勤のどちらかが泊まる。事前に決まってる。

夜間見回りをやったりパソコン作業やって寝て起きて朝から働く感じ。

 

施設によっては男子、女子、小学生中高生で分かれたりしてるところもありますが、

うちは全く性別、学年関係なく暮らしていました。

 

初日に客室にまず通された時に園長、主任、担当指導員が入ってきました。

 

この3人が施設内の身長の高さのTOP3でして、

あ、終わった私ここで死ぬんか?って思いました笑

 

初日は苦手な人となる女性の保育士の方が色々と説明や準備をしてくれました。

私、まだ小学生だったのにランドセルはもちろん、洋服も何も持ってなかったので初日から他の部屋を回って洋服をもらいに行ったのを覚えています笑

 

物乞いから始まった施設生活。

一時保護所で一緒だった3個上の女の子と偶然一緒の部屋ですぐに緊張が解けたのを覚えています。

 

久しぶりの学校

 

5年生のほぼほぼ不登校だったので本当に久しぶりの学校でした。

転校はたくさんしてきたけど何回経験しても慣れず、緊張でガチガチでした。

 

初日からいろんな子が話しかけてくれて嬉しかったです。

でも、転校して2週間で修学旅行は流石にきつかったです笑

しかも部屋とかはクラス関係なく組まれてたので誰?状態でした笑

 

半強制的に施設のソフトボールチームに加入

 

私がいた施設の県では、施設対抗の運動系の大会が多くありました。

その中にソフトボール大会があって、なんでも経験だよと言われ、

半強制的にチームに加入させられました。嫌だった!!!!!笑

 

当時住んでた棟の主任だった男性恩師(自称小栗旬🥺)が監督だったのですが

もちろん家の時とソフトの時が違いすぎて、入って数日でやめたいってずっと思ってました。

 

人数は足りてたのですがみんな小学校低学年の子が多かったので人数あわせのために入れられたと思いました。全く獲れなかったのにキャッチャーをやらされました。

 

聞いたことあります?獲れないキャッチャーなんて。

自称小栗旬をその時は恨みました笑

 

大会はもちろん一回戦ボロ負け敗退しました。

ですが、私が高校生の時に優勝するまでに強くなってたんです!!

 

小学校卒業

 

9ヶ月しか通わなかった小学校を卒業しました。

正直友達には恵まれたけどたったの9ヶ月ではそこまで思い出も

できませんでした。

 

中学校入学

 

2013年4月に中学校に入学しました。

 

卒業した小学校と近くの小学校から来る子がほとんどでしたが、割とみんなすぐに仲良くなりました。

 

中学は同じ施設の子がどの学年にもいたし、近所にもう一軒施設があってそこから通ってる子もいたので施設に対して偏見はなく、楽しく過ごせました。

 

部活に入部

 

なんかしらの事情がない限り部活に入らなければならなくて

吹奏楽部に入部しました。マーチングの強豪校だったので

体育会系でした。

 

毎年東関東大会に行くための県大会から始まりました。

 

お母さんが学生時代吹奏楽部でクラリネットを吹いていたと聞いて

クラリネットやりたいと思い、入部し、無事にクラリネットに所属することができました。

 

覚えることたくさんだし、マーチングだからそもそも楽譜頭に入れて吹きながら歩いて動いて筋トレもあるし本当に過酷でした。

 

夏休みはお盆休みで1週間あるかないかくらいで、

朝9時から夕方6時までグラウンドか体育館であっつい中マーチングの練習をひたすらやるという生活でした。

 

おばあちゃんが亡くなる

 

中学に入ってすぐの5月に父の方のおばあちゃんが亡くなりました。

おじいちゃんの方がよく倒れたりしていておばあちゃんの方がまだ動けていたから親族みんなおばあちゃんの早い死をびっくりしていました。

 

葬儀に参列したのですが久しぶりに姉や父に会いました。

会いたくない叔母や従兄弟にも。知らない親戚にも。

 

おばあちゃんには甘やかされたのでショックだったのを覚えています。

 

人生初めておばけを見る

 

おばあちゃんが亡くなって49日を迎える直前の夜におばあちゃんが会いにきてくれました。

 

私は2段ベッドを使っていました。(下が机です。)

 

いつも通り9時にベッドに入りうとうとしていたら部屋のドアが開きました。

いつも見回りは基本高校生も寝てからだったので日付変わるくらいでやっていたので今日は早いなと思いました。(確か10時くらい。)

 

見回りは部屋のドア開けて生存確認をするんですけど、この日は部屋の中に入ってきて2段ベッドの階段登り始めたから怒られるかもと思って寝たふりをしました。

 

登ってきた人はかけ布団をかけ直してくれたので寝返りを打つふりをして

薄目を開けて見たら施設の職員にはいないお年寄りの女性でした。

 

なぜか怖くなってしまい、背中を向けてしまいました。

その女性はそのまま階段を降り、しっかり扉を閉めて出て行きました。

 

起きた時汗びっっしょりで本当に怖かったです。

 

次の日当直勤務だった職員に見回りの時に布団かけ直してくれたか聞きましたがもちろん答えはNOでした。

 

その職員さんはおばあちゃんが会いにきてくれたのかもねと言っていて

確かに49日前だし、施設に帰ってきた時お塩体にまいてなかったので

おばあちゃんだと思います。

 

フラッシュバック

 

施設に入ってからは1、2ヶ月に一回のペースで姉と父と児相で面会をしていました。

毎回面会の時はとにかく明るくいようと思い、おちゃらけていました。

 

中学2年生の時に夜に昔を思い出してしまい寝れない日が続きました。

虐待を受けていた時姉を助けられなかったことやその時の場面がはっきりと鮮明に頭の中をぐるぐる流れました。

 

気づいたら自傷行為をしてしまっていた日は怖くて仕方なかったです。

その日から自傷行為をよくやってしまうようになりました。

 

こんな状態では面会はできないと職員が判断してくれて

当分の面会は無くなり、心がほんの少しだけ軽くなった自分が嫌でした。

 

私のいた部屋の女性保育士に1人恩師となる方がいました。

そのかたは怒るとめちゃくちゃ怖くて最初は苦手でしたが誰よりも子どもに寄り添ってくれる人でした。

 

その方と自称小栗旬がずっと話を聞いてくれたり、気分転換に連れ出してくれたり。

その2人とくだらない話をしたりするだけで前向きになれました。

本当に恩師です。

 

喧嘩もしたし、数えきれないくらい怒られまくったけどこの2人がいたから

施設に居れたし、たくさんのことを乗り越えることができました。

 

女性恩師の方は試験期間になると毎回やまはってくれたり、仕事があるのに夜遅くまで勉強に付き合ってくれました。あったかい飲み物も出してくれて、この時にカフェオレが好きになり、今でも結構な頻度で飲んでいます。

 

部活で副部長兼コンサートマスターに任命される

 

中2の10月に先輩の仮引退前に私たちの役職が決められました。

3学年全員のアンケートとそのアンケートを元に顧問の先生が決める、という形でした。

 

まさか私が副部長になるとは思ってなかったし、コンマスと兼業なんて私には無理と思っていました。

 

私たちが入部した年に初めて東関東大会で金賞を受賞し、2年生の時も金賞を受賞しました。

 

3年連続で金賞を取らなければならないというプレッシャーもあってこの時期にいろんなことが重なって精神的に結構やられました。

 

おじいちゃんが亡くなる

 

中学2年の3月におじいちゃんが亡くなりました。

おじいちゃんは亡くなる前から老人ホームに入所していました。

 

ホームの職員が夜に見回りをしたところ、すでに亡くなっていたそうです。

おばあちゃんは病院で父と叔母に看取られたみたいです。

 

葬儀に参列しました。久しぶりの父と姉に会うのは気まずかったけどいつも通り接してくれました。

 

火葬中って親族でご飯を食べると思うんですけど、親戚が勝手に席を決めまして、姉とは隣に慣れたのに目の前がいとこで本当に気まずかったです。

 

あとは前回のおばあちゃんの時もそうだったのですが、私と姉って親戚との交流した覚えがないのでアウェイ感が半端なかったです。

大きくなったねって声かけられたけど、どちら様?って感じでした。

 

葬儀後はちゃんと実家にお骨を置く時と施設に入る時どっちもお塩をまいたので、おじいちゃんが会いに来ることはありませんでした。

 

最後の大会

 

あっという間に3年生になって部活もいよいよ本格的に夏の県大会に向けて練習が始まりました。

 

副部長と部長みんなで4人いたのですが順番で外に出て指導をしなければならないので人よりも努力が必要でした。

 

また、ありがたいことに年間で30以上の演奏会をさせていただいていたので、

大会の練習一本ではなく、演奏会の練習もしなければならなかったのでハードでした。

 

無事に県大会を突破することができて東関東大会に出場することができ、東関東大会でも金賞を受賞することができました。

 

3年連続で金賞を受賞できた代は今も私たちだけと聞いています。

後輩たちは銀賞を獲った年もありました。

 

このことは一生誇りに思って生きて行きたいと思います。

人生で一番努力をした3年間だと思います。

 

塾に入る

 

東関東大会が終わり、10月の演奏会の繁忙期を終え、仮引退をしました。

 

そこで待っていたのが高校受験です。忘れてた。無理。

 

私、部活に熱中しすぎて勉強全然やってこなかったんですよ。

女性恩師の方がテスト期間中見てくれてたのはその方が得意な英語と社会だったんですけど、それ以外は壊滅的でして。

 

そこで塾に入ることになりました。

個別指導を希望したので近所の某スイッチの塾に入塾しました。

 

が、生徒も先生も陽キャでチャラい人しかいなかったのがびっくりで、入ったことを後悔しました笑

 

コミュ障なので猫かぶっておとなしいキャラを貫きました。数ヶ月間。

高校受験が終われば辞められる。と毎日呪文のように唱えて乗り越えました。

 

その塾に中学が一緒で少し喋ったことのある一つ上の男の先輩がいてその先輩が通っている高校が志望校でちょくちょく話しかけてもらってました。

ただ、高校入学してストーカーっぽいことされたので少し人間不信になりました笑

 

恩師が退職

 

中学3年生の12月に女性恩師が急遽退職することになりました。

 

恩師は一番子どもに寄り添ってくれていたのですが、施設の職員の中には自分の利益のために子どものことを全く考えない古株が多く、その人たちにいろ色々とやられたみたいです。

 

また、園長もはっきり言って仕事ができず、古株ファーストで何かと施設の方針を変えたくて話を持ちかけても全く聞き入れてくれなかったと言っていました。

 

高校卒業まで当たり前に一緒に居れると思ってたのでショックが大きかったです。

 

退職もショックだったけど、何より恩師が悪者っぽくなって退職されたのが一番悔しくてショックでした。

 

高校受験

 

施設での生活費用や学費は税金を使わせていただいていたので、できれば学費のかからない公立に行ってほしいと言われ続けました。

 

施設の子は勉強が苦手な子が多く、9割私立に行ってました。

私も吹部の強豪に行きたくて最初は私立を希望していましたが、公立を本命にしました。

 

受験時期に色々ありましたが、なんとか勉強をやってきました。

保護所から一緒の女の子がいたのですが、その子は就活が終わっていてあとは卒業待ちの状態でした。

 

その子は少し知的障害を持っていて少し空気を読むのが苦手でした。

私が勉強しているのが分かってるのに大声で喋ったり音楽爆音で流したりとにかく勉強の邪魔だったんですよね。

 

だからある日私がブチギレたら逆ギレしてきて

「お前なんか受験落ちろ」と言われました笑

この子が卒園する当日まで私は話しかけられてもフルシカトしました笑

 

なんだこいつと思ったのですが公立受験に落ちてはいけないプレッシャーから嫌になってしまって受験1週間前から一切勉強をしなくなりました笑

 

ですが、希望していた高校は平凡校で受験が内申点重視の高校で、受かることができました。

 

中学卒業

 

3年間色々大変なこともあったけど無事卒業することができました。

部活漬けの毎日だったけど人生で一番充実していたなと思います。

 

施設内で引っ越し&メンバー替え

 

中学卒業してすぐに施設内の子どもが少し減ってきたのと職員の関係で

一部の部屋を合体する話が出ました。

 

私たちが住んでた部屋も合体することになりました。

 

4個下の男の子がいたのですが、その子は感情を抑えるのが苦手な子だったけど恩師と私とその子で出かけたりして信頼関係築いて、いろんなことを一緒に克服してきたのにその子と私は引き離されました。

 

園長はそういうことを知らず、平気で引き離したのでその子は結局また感情を抑えられず、手を出してしまい、引き離されてから数ヶ月で他の厳しい施設に連れて行かれました。

 

私は今でも園長を許しません。

私が移動した部屋は一個上の女の子がいて救われましたが、職員がはっきり言って最悪でした。

 

まとめ

 

中学は部活漬けだったので学校生活も充実していたし、

職員も子どものメンバーもみんな仲良くて人生で初めて住みやすい環境でした。

 

次回は高校入学から卒業までを書いて行きたいと思います。

 

長くなりましたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

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